私に関係がなければ、困る人がどれだけいようが関係ないのだ。
そう言う人がいる。
今月末には
年金問題にも、一応の期限が示されていた期日ですし、何らかの進展があるのでしょう。 とはいえ、給付が差し迫った世代や既に受け取る世代にとっては問題意識が高いけれど、現役納付世代やさらに下の世代にとっては馴染みが薄いのか、あるいは現在の制度に問題をもつのか、いずれにしてもあまり"どうでもいい"と感じるのかも知れない。
はい、私だって少しは思っていますよ。
今後自分が払ったって、自分が受け取れるかは分からないしなぁ・・・とか。 いまは学生の身分だから、支払わないでいいよう控除申請を毎年出していますが(結構知らないと思うけど、国民年金というのは基礎年金でして、私が事故にあって障害が残ったので障害年金の給付を申請するような時にタイヘン困ることになるんですよね。国民年金に加入していないと受給はありませんから)。
無関心。 関心をその対象に向けて示さないこと、それは当人にとっては「特定の対象」なのかも知れないけど、得てしてそれは特定の対象のみではなく色々なものにも影響することが往々にある。
とりわけ無関心を貫くことが許されない人たちは、この国にも存在すると思うんだよね。
中国の故事や、西欧社会での「貴族のあり方」また「ノーグレスオブリュージュ」とか。 人間として「人間らしさ」を求めることは本来なら誰もが求めているはずで、まさに一生かかっても体得できたかが分からないものなんだろう。時に、ヒューマニストとか人文主義者なんていって人を評することがあるんだけど、本来なら人間誰もが目指していたものを失っていることの、反証ですよね、もはや。
さいきん色々と、公務員を糾弾する論調がマスコミを中心にしてメディアのウェーブに乗っかって流れ、国民もそれによって啓蒙されてる印象を、若干に感じる。
そう、確かに彼らがおかす問題はとっても問題だ。
しっかし、
一概に「公務員」自身が当然に問題のカルマだろうか?
どうにもそう思えないんだよね。 たとえば国会議員。
国民の代表であることは皆さんご存知だろうが、国民の代表たる行動を国民として求める額面どおりのロール(役割)を願うだけなんですねっ。 つまり、枠組みとして国民と国会議員との関係を意識するばかりだけど、かかる一方で国民自身が見失ってきたものも多いと思うわけさ。
はぁ、確かに特定の物事にだけ異様な関心をみせる人たちはこんなにもいるのに、どうして、もう少し自分の外に目を向けないんだろう。 はい、まさにコレこそ私は他人に対しても無関心になりたいところですね。でもね、そんな人ばっかり周りにいてもツマラナイじゃん。一つを極めることは大事だと思う。
でもさ、人間は一つのことを極めることしか出来ないの?もっと軟化して、他のことを受け入れる余力もないんかしら。そうだとしたら、見限ってしまうね。
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