ヒマだから料理をやった。当初はロールキャベツをつくろうと思って、実際に圧力鍋に放り込んだ時点では非常にソレらしかったんです。
と こ ろ が だ 。
加圧時間を10分程度でいけるだろ?っと何も考えないでやっていたら、時間が長すぎた。キャベツが柔らかくなりすぎて、もはや
新ジャンル?な料理が出来てしまった。
ところが。 これが食べてみたらオイしかったりする。まぁアタリマエだ、もちろん味付け自体は問題がないのだから。 さしづめ、
肉とキャベツとトマトをスープ煮込みしたようなもの、とでも言える料理になっただけのことだ。
( ´ー`)フゥー...
もともと目指していたものがあって、ところが目指している過程で別のものが完遂され、思いのほか、それが自分に合うこともある。 うーん、
結果オーライってやつですな。
ところで最近こんなマンガを読んでます。きっかけは
自分が気になったこと、それに尽きますが。
いやぁつい先日も友人に
マンガの楽しみ方が(ry、と言われたところですが、のんびり楽しめるマンガです。
私は常日頃から、
一読して終わりなマンガだけは集めないようにしよう、って考えてマンガのコレクションを増やしていっています。 もはや冊数を数えることさえ億劫ですが、我が家に来た人なら引くくらいの数はあるでしょう、ええ、ありますとも!
マンガだってね、1回読んだだけじゃみえてこなかったものが、重ねて読めば新しい発見があるんですよ。たった新刊1冊読むだけでも、過去の分を全て見直して楽しもうとする。それが私の正義なんですわ。
これはマンガだけに限った話じゃ決してありません。
いろいろな本は、1回読んですべて理解できることなんて、読者にはできないんだよ。 なぜって、作者じゃなく、
読者なのだから。
良本・悪本、私の大嫌いな
ハウツー本、こういう外部的な評価が、必ずしもその書物の本質を決めるわけじゃない。 どっかの偉人が書こうが、どっかの批評屋が「スバラシイ」と言おうが、その分野の中でバイブルとされる書物だろうが、自分の『知識』のもと吸収できていなけりゃ、その本があんたのタメになったとは、私は言えないと思う。 単純だ、単純。
どうしてこんなに、みんな色々な情報がわかったものと考えられるんだろ。
はっきり言えば、
私になんて分からないことだらけですよ。
だから私は色々と知りたいとする。
『分からない』から『知っている』にするために。
どうして、『分からない』こと、それ自体を知ろうとしないんだろ。 本当は分からないことだらけなのに、まるで自分には関わりがないものって、どうして言いきれるのだろ。人間の許容キャパを気にするなんてナンセンスだ。
そのイチバンの尺度になるのが、日々のニュースなんだと私は思っています。 ニュースほどに一般化された、
本来なら誰もが同様の立ち位置から眺められるものなんてアリエナイのでね。