ライドウは4章途中でストーリーを性急で追っていたことを反省して、別件依頼をちょくちょくこなす。
懐かしの
ブースカ・ブーじゃなかった、大タラスクの背中にのって帝都の未捜索エリアを放浪したりと楽しんでます。いちおライドウは11月中には1周目を終えたいなぁ~って思ってます。
そのあとは年末に楽しく、ねっ。
さて、なんか書こうと思ったけど、何を書きたかったか思い出したけど、ネットじゃ叩かれる内容なんでやめとこう。ホント、象徴象徴っていうわりには何でも好きに書けない(と感じてしまう)あたり難儀な問題だと思うんだよね。
どうせ何書いても見る人がいないって割り切って書いてもいいんですけど、そう思ってる連中は素人だと思う。
すくなくとも書き続ける側から言わせて貰えば、何を書くのだって自由だって本気では思ってかいてるヤツはまぁいない。mixiで犯罪予告や自慢をして燃え上がるのは「
違法な行為を公然と書くことが」論外だけど、センシティブな社会的・政治的事情を抱えるテーマってのは何で自由に書けないって感じるんだろう。
私は自分が何書くにあたっても、みてる人間を黙らせる事が出来るくらい訳ないですが、
ネットでそもそも書くべき内容か?と感じることがあるんだよね。
どうせネットにいる人はバイアスかけて平然と言いますが、特定の狭いジャンルにしか興味がないですから。たとえるにジョジョしかマンガを知らない人ばかりがネットにいる人って言ってもワケはないだろう。結構気になってる視点として、書く側は努力してるけど、
みてるだけの側ってどうなん?と感じることもある。
この視点はあらゆるジャンルにあてはまるよね。たとえばテレビで「最近はバラエティがつまらない」と視聴者が嘆き、テレビ局が面白い番組をつくればなぁ~って言う人がいる。でも、そもそもあなたがつまらないと感じても、他にみてるその他多数は
つまらないとは感じていないこともあるだろう。その場合、つまらないと思ってる人間は主観的側面において多数者の持つ価値基準とはズレてるわけだ。そして、そのズレてる人はテレビをつくる側は相手とはみていないだけの結果に他ならないことになるだろう。
あるいは能動・受動っていってもいい。
受けてる人は受けてるっていう、ヒナが大きく口をあけてエサを親から入れてもらうだけの動作をしていればいいんだと理解するかも知れない。でもさ、ヒナだって何羽もいりゃ、
口を開けてるだけじゃエサにありつけないかも知れない。これをネットにおきかえりゃ、
旨みにありつけないかも知れない、ってことか。
いやぁ、結局は人それぞれなんで勝手にしてくれってことなんだけど。私のような書き手の側が自分の更新することでの相手方(受け手)なんて
無味乾燥・物言わぬ、存在するかも知れない人って思うようになると、はたしてモチベートはたもてるだろうか?
それでも更新するなら、もはや
エラーみたいなもんでしょ。アイ・マユズミに聞こえるような。
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